頑張る理由はどこにあるんだ

うつ病になるのは忙しい時ではなく、なんのために頑張っているか分からなくなる時と誰かが言っていた。わかる。とてもわかる。

そして自分と、自分の周りで悩んでいる人がすぐに思い浮かぶ。

 

忙しさは生きるのに必要なことだとも思う。体力の限界をゆうに超えて仕事をするとかは良くないが、忙しさを感じるときってなんだかんだドーパミンが出てる感じもするし、その間は悩んでる暇もなくて、擬似的に悩みから解放されるような感じもある。失恋したらバリバリ仕事するみたいな古典的なパターンなんかはその典型だろう。心の中の問題が根本的に解決するわけではないけど、それを見ない時間を作ることができて、問題から離れるという状況を作ることができる。それがうまくいくことも多々あるだろう。

 

でも忙しさが限度を超えると、なぜこんなに忙しいんだ、なんで自分はこんなに頑張らないといけないんだみたいな思考にもなるだろう。忙しさを手段にできているうちは良いが、それを見失なうと辛さが支配的になってしまう。多分。

 

努力をするのは結局は自分のためだ。頑張りを「他者のため」というと周囲からは優しさと見られるかもしれない。でもそれは違う。他者への献身は結果的に自分のためのものだ。理由は人それぞれあるだろうが、そこは共通しているものなんじゃないかと思う。というよりそう整理しておく方が自分のメンタルを守れると思っている。

でもそんな風に常に振る舞えるわけではない。理由を外に求めることで救われる場面もたくさんあるだろうし、その方がいいことは多いんだろう。そのときはその相手との信頼関係が重要になってくる。相互依存的になるのはあまりよろしくないように思うが、それでも負担を外に出すことができるのは、たとえ小さな内容だとしても大きな効果があるだろう。

 

だから信頼は大切なんだ。それを失うことは頑張る理由を奪うことなんだ。忙しさなんかよりもずっとダメージが大きい。

こんな簡単なことなのに私は正しく認識できていなかった。いや、自分を守るのに必死で、そのことに目を合わせないようにしていたのかな。自分が他者を信頼しないのはそのダメージからの逃避なんだ。自分のことも理解できていなかった。自分は周りから人がいなくなることを何よりも恐れているくせに、その痛みを恐れて周りを信頼しない。とても歪な人間だこと。

 

もっと若いうちにこの感情と向き合わないといけなかった。そのツケを今になって支払っているのだろう。膨れ上がった利息はかなり大きい。