いくら友人だとしても

友人たちがネットラジオ的なものをやっている。面白い話が多くて私もしばしば聞いていた。

 

昔あったおもしろ話とか、最近見たこと聞いたことを中心に話してみたり、なかなか面白かった。でもある時に一気に熱が引いてしまった。

ある本を読んで、これは素晴らしい本だ!と礼賛することはまあいい。そこただにひとつも批判的な意見とかがでなかったのがとても恐ろしく感じてしまった。私もその本に目を通してみたし、なんなら作者の方はその界隈では(あんまりよくない意味で)有名な方だ。で、その内容に対して反対の意見を出してみて深めることをしていないスタンスは正直疑問を持たざるを得なかった。いつどんな矢が飛んでくるかわからないし具体的な名称を出すことはしない。

 

もちろん友人たちはその本の作者とかなり似たような考えを持っているのかもしれない。それは自由だし、私の知らない世界の経験をたくさん積んだ結果としてそれが大切だと考えるようになっているのかもしれない。それは別に良い。ただ私が勝手に思想の違いを感じて、ぶつからないように少し距離を取るだけだから。別にそういう思想の話がなくても楽しい話はできるし、友人であることに変わりは無い。でも少し悲しい気持ちにはなる。

 

何がしんどいってさ、自分の持っている意見が正しい・かなり優位なものだという思考が根底に透けて見える点なんですよ。いろんな本を読んだりした上でこの意見が強いと思うというスタンスが基本にあるみたいだが、じゃあその根拠のチョイスは大丈夫なの?偏ってない?という気持ちになる。もしくは反対側の意見も極端なところだけをとって退けたつもりになってるんじゃない?そういうふうに思えてしまうのが本当にしんどい。次点で感情ファーストな考え方をあらゆる場面に適用しようとするスタンスもしんどい。気持ちはもちろん大切だ。でもそれだけで世界を回すととんでも無いことになるじゃない。

 

なんかそんなふうに考えてしまうと、別に嫌いになったりはしないけど少し距離はできるなと思ったし、逆にじっくりと話をしたいなとも思った。しんどいからやりたくない気分の時の方が多いだろうけど。