自責と他責

原因を内側に求めるとどこかで限界がきて無理になってしまう。逆に外側に求めると楽ではあるが根本的に問題が解決しない、むしろ酷くなることすらある。要は塩梅が大切なんだとは思うが、そんなにいい感じに処理できるほど私のCPUは高性能にはできていない。

 

他責的な思考は良くないものと言われる。それはそう。ただそれを身につけて慣れてしまう人も一定数存在している。それは親の教育だったり、周囲からのダメージを避けるためとかで身についていく仕草なのかもしれない。誰が悪いのかと言われて完全に自己責任ですねと言ってしまうのもちょっとかわいそうな気もする。大人になると流石に厳しいとは思うが、なんとかならんのかなとは思う。

 

私は逆に自責的に考えてしまうタイプだが、それはそれでどこかで認知が歪んでしまうんだと少し前に認識した。そこに気がついて最近はようやく少し楽に考えることができるようになった。自分の中の歪みは自分だけではなかなか気がつけないから時間はかかるだろうが、少しずつフラットな人間になれるように頑張っていこうと思っている。

 

自分が何か言われているわけでもないのに、自分が責められているような感覚になることが昔からあった。良い方向に考えれば、そういう風にNGなものを学ぶことができていた。悪く言えば自意識過剰だった。世間はそんなに自分を見ていないし、もっと適当なんだ。今も理屈では分かっているがなかなかそういう思考に切り替えるのは難しい。自分の歪みが治ることはないのかもしれない。そんな気もしてくる。

 

人間は歪んでいるものだ。それは仕方ない。自分が他者と関わるときは少なからずそう思っている。でも自分の歪みは許されない気がする。いや、許されないというより許せないのか。自意識過剰なのと完璧主義なのはセットでありがちな性質なのかな。それがセットになると常に自己嫌悪があって本当に良くない。人間は苦しい。そんな時に他責思考の人間が目の前を通り過ぎて行って、少しだけ羨ましさが生まれる。これも性格が悪い。ほぼ嫌味だ。

 

なんとかなれ〜〜