欠損を許せ

サイコパス系の人間を扱った話の中で時折出てくる「彼・彼女の中ではちゃんと辻褄があっていて、ハッピーエンドを迎えることになっていた」みたいなのがある。最近ちらっと見たやつだと、元彼に振られる→その彼に新しい彼女ができる→その彼女を殺せば自分が彼女に戻れるはずだった みたいなのがあった。

こういうのって傍から見ていると異常だよなってなるものだと思う。でもそれって自分もそうなんじゃないかと。自分の中では整合性のある理屈だと思っていても周囲から見るとそれはかなり非自明で飛躍した考え方だったりするんじゃないかと。もう少し正確に言えば、多くの人は自分のような考え方は変だ、異常だと感じるんじゃないか。

 

私自身はできるだけ他者の考えや行動に対してフラットな考えを持つようにしてきたつもりだ。ある行動をとった人間がいたら、それの持つネガティブな側面は何か、同時にそれが肯定されるならば本人にどんな考えがあったと考えられるか、あるいはその逆hどうか。そんな風にいろんな可能性を考えるようにしてきた。そうしてフラットにした上で本人に話を聞いてみる。それが理不尽なものなのか、本人にとってはちゃんと理由があるものなのか。そんな風に、そんな姿勢を崩さないように努めてきた。

そのせいもあるのだろう、私は善悪の判断とかそういうものにとても疎くなってしまっているように思う。「普通はこう考える」みたいなことが分からないし、自信を持って判断できない。いろんな可能性が頭の中を走り回って収集がつかなくなって、そこで思考が停止する。仕事の場面だと「仕事を円滑に進める、期限を厳守する」みたいな絶対的な指針を立てることができてこの状況を脱却できる。しかし自分の生活のこととなると指針は多岐にわたるため、あらゆる可能性が排除できなくなってしまう。

でも何かは出さないと、何も言わない人間になってしまう。そしてそれは許されない場面が多い。そうして絞り出した1つの態度は、自分の中では考えられる可能性の1つの発露ではあるはずなのだけれども、相手からするとその思考の過程は辿ることができない。だから相手の想定からズレたことでも言おうものなら、きっとそれは異常な人間だという目で見られているのだろう。

 

その度に思う。お前に何がわかるんだと。

私はあなたを否定しない。常に肯定する。あなたは私を否定する自由がある。わかってほしいなんて思わない。でもわかったつもりにならないでほしい。人間は必ず歪んでいるし、その歪みを完全にわかりあうことなんてできない。その上で相手と関係を築いて生きていかなければならない。そういうもんだろう。

 

非自明も欠損も許せる、そんな人間になりたい。ならなければならない。なぜなら私が非自明で欠けているから。