短い電話

仕事が終わって帰り道で死んだ顔でラーメンを食べていると電話がかかってきた。母からだった。

最近の私の調子を案じて心配の電話をかけてくれた。急いでラーメンを片付けてできるだけ街の喧騒が少ないところに逃げて母と話をした。

 

母のもうそこそこの歳だ。電話をしていても息遣いからそれを感じる。私と同じ歳ぐらいの社会人ならもう親には楽をさせて、なんなら親孝行で旅行にでも連れて行ってあげたりもしているんだろうか。それでいくと私は親不幸なのだろう。親に受けた恩を返さないまま家を出て、結果今の体たらくだ。

家を出る時に近所で乗り捨てのできるレンタカーを借りて、部屋の荷物を積み込んで出て行こうとしていた。1人でできるだろうとたかを括っていたが案外大変で、結局見かねた母が少し手伝ってくれた。車にエンジンをかけて出発しようとすると母はただ「気をつけて、いつでも帰っておいで」と背中を押してくれた。

車を出して適当なコンビニでコーヒーを買って、その駐車場でしばらく泣いた。どうして母は、私のような親不孝に優しくしてくれるのか分からなかった。親の愛はわかっているつもりでいたが、そんなのは浅はかで、自分のバカさに絶望した。

 

周りは全員敵だと思って生きてきた。優しさには裏がある。私も他者への献身が自分の本質だと思っているが、それは自分が生きやすいからという明確に自分本位の理由がある。だから母の優しさがありがたさと同時に分からなさを伴ってしまう。親ってそういうものなのだろうか。そしてこの優しさに慣れてしまうと自分の背骨が弱くなってしまうという感覚が強くなった。それほど電話で話してもらえて救われた感覚の自分がいた。

 

私は母に受けた恩をちゃんと返したい。そして母が私のそうしてくれたように、私も自分の子供を愛したい。母の気持ちを自分も理解したい。そんな風に少し考えるようになった。自分が親になってもいいのか疑問ばかりだったが、それもいいのかもしれないなと最近思うようになった。

自信はない。だが愛情はある。