死にたい感情

希死念慮という言葉がある。なんとなくは理解していてもちゃんと意味を調べたことがなかった。

 

希死念慮とは、生きたくないと考えたり、死ぬことを想像したりすることである。

ということらしい(Wikipediaより)。医療的な用語としてちゃんとした定義があるのかもしれないが、自分の中で思っていた定義もこのくらいの解像度だったのでとりあえず大枠は間違ってないことがわかった。

 

「死にたい」と思うことはこれよりも少し強い考え方なのかな。感覚としては漠然と死の方向を向いているというのが希死念慮で、死にたいという感情はその方向に向かって進んでいるような感覚を覚える。これであってるのかな。ちゃんと精神医学的なことも勉強したいね。

 

ただ自分の場合だが、死にたいと声に出る時って逆に生きたいと思っているような気がしている。誰かに助けてほしいから声になって感情が発露する。だから死にたいと考えることと口をついて出ることにもレベルの差があるのかもしれない。根底にあるものが類似していても、そこにある感情の大きさは結構差がありそうだ。やはり自分もそうだが、ちゃんと外に言葉として感情を吐き出すのは大切なのだろう。

 

相手になんでも話してもらいたいから、私はできるだけ傾聴の姿勢を保てるように努めてきた。でも気がつくと私は自分のことを話すことが極端にできないようになっていたし、そもそも話せる相手がいなくなっていた。気がつくと自分で自分の首を絞めていた。自分で孤立していっていた。そうならないためにも、会話って大事だ。ネットとかでじゃない、ちゃんと近くで、生身の人間に話をしないといけない。

 

こんな簡単なことに気がつくのに随分と時間がかかってしまったし、いろんなものを失ってしまった。

死にたいという感情に向き合って、ようやく気がついた。ギリギリになるまで気がつけない愚かな人間だな。